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元帝 (漢)

元帝(げんてい)は前漢の第10代皇帝。

武帝の玄孫に当たり、父は9代皇帝宣帝。生母は許皇后(平恩侯・許広漢の娘)。宣帝がまだ民間にあった頃に生まれている。

生涯 [編集]
現実主義者だった父・宣帝と異なり、儒教を重視した政策を実施した。宣帝は皇太子が亡き愛妾の司馬良娣を偲んで嘆き悲しんだり、理想主義的な儒教に傾倒するなどあまりに叙情的な性格から「我が家を乱すのは太子ならんか」と危惧、将来の統治能力に疑問を持ち一時は皇太子の廃位も検討した。 しかし、糟糠の妻であった許皇后との間に設けた子であるという宣帝の思いや、生母の従弟である中常侍許嘉(許延寿の子)と継母の王皇后により、王皇后との間に生まれた後の成帝の誕生を理由に廃立まで至らなかった。

前49年に即位すると皇太子時代の学師であった蕭望之ら儒者を登用したが、宣帝時代から側近として重用されていた宦官である弘恭、石顕と対立し失脚した。以後元帝の治世は宦官により専断されることとなった。

元帝は外征を控え、税を軽減し、厳しい刑法を改正するなどの政策を採用し、民衆の生活の安定を図った。そのほか元帝は大規模な宴会を禁止、狩猟用の別荘や御料地の経費を抑え、宗廟など祭祀にかかる経費を削減し財政の健全化を図ったが、財政問題を根本的に解決するに至らなかった。

その一方で儒教に傾倒するあまりに現実離れした理想論に基づく政策も実施され、専売制を廃止して財政を悪化させるなど国政を混乱させた。宣帝により中興された国勢は再び衰え、元帝の皇后王氏一族から出た王莽の簒奪の要因を作り出した。後漢の史家班彪はその治世を「優柔不断にして宣(帝)の業衰えぬ」と評している。

宗室 [編集]

后妃 [編集]
孝元皇后・王政君(新の王莽の伯母)
傅昭儀(哀帝の祖母)
馮昭儀(平帝の祖母)
易婕妤
司馬良娣(皇太子時代にもっとも寵愛したという女性)

子女 [編集]
成帝・劉驁
定陶恭王・劉康(哀帝の父)
中山孝王・劉興(平帝の父)
陽阿長公主
平都公主
平陽公主

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2009年04月13日 14:10に投稿されたエントリーのページです。

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