噴火の経過
1914年(大正3年)1月12日午前10時5分、桜島西側中腹から黒い噴煙が上がり、その約5分後、大音響と共に大噴火が始まった。約10分後には桜島南東側中腹からも噴火が始まった。間もなく噴煙は上空3,000m以上に達し、岩石が高さ約1,000mまで吹き上げられた。午後になると噴煙は上空10,000m以上に達し桜島全体が黒雲に覆われた。大音響や空振を伴い断続的に爆発が繰り返された。午後6時30分には噴火に伴うマグニチュード7.1の強い地震(桜島地震)が発生し、対岸の鹿児島市内でも石垣や家屋が倒壊するなどの被害があった。
1月13日午前1時頃、爆発はピークに達した。噴出した高温の火山弾によって島内各所で火災が発生し、大量の軽石が島内及び海上に降下し、大量の火山灰が風下の大隅半島などに降り積もった。午後5時40分に噴火口から火焔が上っている様子が観察され、午後8時14分には火口から火柱が立ち火砕流が発生し、桜島西北部にあった小池、赤生原、武の各集落がこの火砕流によって全焼した。午後8時30分に火口から溶岩が流出していることが確認された。桜島南東側の火口からも溶岩が流出した。
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1月15日、赤水と横山の集落が桜島西側を流下した溶岩に覆われた。この溶岩流は1月16日には海岸に達し、1月18日には当時海上にあった烏島が溶岩に包囲された。一方、桜島南東側の火口から流下した溶岩も海岸に達して海上を埋め、1月29日には瀬戸海峡を塞ぎ桜島が大隅半島と陸続きになった。このとき瀬戸海峡付近の海水温は49℃に達した。溶岩の進行は2月上旬に停止したが、2月中旬には桜島東側の鍋山付近に新たな火口が形成され溶岩が流出した。1915年(大正4年)3月、有村付近に達した溶岩の末端部において二次溶岩の流出があった。
噴火活動は1916年(大正5年)にほぼ終息した。
噴火の前兆となる現象が頻発し始めた1月10日夜から住民の間で不安が広がり、地元の行政関係者が鹿児島測候所(現・鹿児島地方気象台)に問い合わせたところ、地震については震源が吉野付近(鹿児島市北部)であり白煙については単なる雲であるとし、桜島には異変がなく避難の必要はないとの回答であった。